三連覇

試合を見ている間感じていたのはたった一つのことで、それはつまりは『何やってんだこの人は』。
反応速度も動きも気迫も、何もかも他の参加者のレベルを軽く超越しきっていたのが昨日の野村。あの最強さは一種の販促、といってもいいぐらいのものであろう。野村と対戦した相手の全てに通じるのが『いかにして投げられないか』というのをテーマに戦っていたということ。『勝つことを目的に負けないようにする』というのは、自分の戦力が相手よりも劣っている時にのみ採用する戦法であり、極論になるが、先方を選んだ時点で負けは確定しているようなものである。五輪という究極の戦場の決勝という偉大なる場所で警告を喰らっても尚その戦法を変えなかった矮小なる銀メダリストは、それを只管に続けたゆえの矮小なのだろう。決勝に駆け上がるまでの試合ぶりを目の前で見せられていた彼は恐らく怖くて怖くてしかなかったことだろう。まともに組んだら瞬時に投げられるということが嫌なぐらいに解りきってる試合では絶対に投げられたくない、というのはわからなくもない。何せ国家を背負って決勝までこれたのだ、鮮やかに一本負けなんてしたくはないだろう。とはいえ、その結果野村の強さを完璧に際立たせる試合展開になってしまっている以上本末転倒という感じは否めないのだが。決勝を見ている間中、甲子園で只管敬遠され続けた某ゴジラを思い出していたのだが、あの時の相手のピッチャー及び監督も同じ気持ちだったのだろう。どうせ負けるならたとえ無様な試合になろうとも微かな可能性にかけて必死に戦う、というのは決して間違った選択ではない。ただ単に見ていてつまらなくて勝っても負けても惨めなだけだ。実質的な誇りより、即物的な誇りを求めるというのは、現実的な人間としては間違ってはいない。本人も回りもその他の人も、誰もスッキリしないだけで。

何はともあれ、そんな場所にまで到達することが出来た野村選手は、一種の化け物である。化け物とまともに戦おうなんて奴は同種の化け物だけである以上、仕方ないと思って相手選手たちも肯定するとしよう。プロでもない以上、第三者の期待に答える必要なんてないのだから。